佐藤妹子の備忘録

鬱病7年無職の生活。

発掘

今日の発掘バイトは念願の一日ドカタ作業をしていた。

 

遺跡の発掘は、スコップでガンガン掘って行くという感じではなく、まず初めにショベルカーである程度表土を削り、そこから手作業で、掘るというよりかは剥ぐという感じで行う。 

 

使う道具は主にじょれんとステーキホーというものだ。じょれんは鍬みたいなやつで、ステーキホーは草刈りのときに使うコテみたいな形のアレみたいなやつ。マイステーキホーとマイシャベルを支給してもらえたが、まだシャベルは使っていない。

じょれんで土を削って行くと、上の土とは違う色の地層が出てくる。そうしたらコテみたいなやつで、掘っている区域全体の高さに差が出ないように、均一を目指して撫でるように削るのだ。すると、同じ地層なのに真っ黒な部分が出てくるのだが、その部分が遺構だったり、小川だったりする。

 

じょれんやコテで作業していると、たまに「カン」と音がする。

残念ながら音がするのは土器ではない。ただの石だ。私が今作業している区画では、今のところ土器の硬度、強度は基本的に金属音を発するレベルではない。

土器は音ではなく、視覚情報から判別する。ご存知の通り土器はレンガ色のものが多く、土の中でそれは一層映える。

私はまだできていないが、小さなものは丸々発見されているものもある。

 

土器がそのまま埋まっていることは稀だ。そもそも割れたものを捨てたゴミ捨て場かもしれないし、丸々埋めていてもその後の気象の変化、地盤の変化などで割れてしまうことが多い。綺麗に発見できた場合、それは意図的に埋めてある可能性もあるため、すぐに掘り上げずに、実測して図面に起こすようである。

 

作業員はだいたい退職後のおじいちゃん達なので、孫世代の私は随分可愛がってもらい、「よく頑張る子だねえ」などと褒められていい気分である。居酒屋のバイトで、中高年に好かれる術は十分身につけている。

しかし、土を削ったり、削った土を運んだりといった作業は割と腰にくることが判明した。20代前半にして体力的に彼らに劣っていることを痛感する。

 

一日中ジャージで外にいるなんて高校の体育祭以来だが、おじいちゃん達に負けないようにまた頑張りたい。

土偶掘りが土偶になる

高校卒業時から15kg増量している。

大学入学から卒業にかけて結果8kgほど太ったのだが、大学院に入ったらストレスで痩せると思っていたら不規則な生活で逆に太ってしまった。9:00から15:00まで授業を受けて25:00まで勉強会、その後帰宅しごはんを食べてまた09:00から大学に行くのは流石にまずかった。

学部生の頃は何もしなくても2週間で8kg痩せたものだが、もうそんな年ではないらしい。

自らの年を鑑みて、健康を維持する努力をしなければ…………

旧交をレンチン

1964年に東海道新幹線が開業して半世紀が経過したころ、やっと北陸にも高速鉄道が開通した。北陸の文明が50年遅れている証明である。

金沢東京間を2時間半、2万円で繋ぐ新幹線は、我々貧乏学生には縁の無い乗り物だ。私が東京に行くときはだいたい夜行バスである。

 

法事のために帰省していたが、行くついでに東京、北陸に帰るついでに岐阜に寄って、数少ない学部時代の友人に会うことができた。私はサークルなどに所属しておらず、150人ほどの学部で友人が2人しかいない。大学全体を見ても両手で足りるほどしかいなかったので、貴重な存在である。

私が通っていたところは上位国立大学なので、偏りはあるものの全国から学生が集まっている。進路も多種多様なため、色々なところで人を頼りにできるのはとてもありがたいことだ。

 

フラフラ休学求職中の自分と違い、友人たちはみなそれぞれの仕事、役割をこなしていた。早く進路報告をしたいものだ。