佐藤妹子の備忘録

鬱病7年無職の生活。

年末年始

12月のはじめから、主治医には年内だと言われていた。本当かよと思いながら過ごしていたが、本当にギリギリ年内に逝ってしまった。

 

100歳近い曽祖母が亡くなった。幼少期は一緒に暮らしており、初ひ孫としてたいへん可愛がって貰った。大学進学で地元を離れてからも、帰省できるときにはなるべく帰省し、会いに行くようにしていた。

先月はじめに最後に会ったときはもうゆっくりとしか話せなかったが、わたしに対し「これでおわり」と言ってきた。「何言ってるの、また来るからね」と返したが、やはり本人が一番自分の体を分かっているのだろう、それでおわりになってしまった。

 

弔辞は結局妹が読んだ。彼女は曽祖母とは共に暮らしたこともなく、元気だった頃の思い出があまりないため、エピソード的には微妙であまり御涙頂戴できなかったが、思っていたよりちゃんとやってくれた。もし私がいつか他の弔辞をする機会があるなら、「坊主をも泣かせる弔辞」を目指したいと思った。

 

会場で一番泣いていたのが私なのだが、親に「あんた泣きすぎ、薬キメてんのかと思った」と言われた。ひでえ。

 

曽祖父が亡くなったのは10年ほど前なのだが、今回の葬儀はそれより随分と派手というか豪華だった。司会というかナレーターが「なんちゃらかんちゃらの風吹き、寂しさのなんちゃらな12月30日、曽祖母さんは旅立たれました……」といった調子で故人の人柄や生い立ちをナレーションしてくれたのだが、正直長いしいらないと思った。

 

それはそうと、元日から腹の調子が悪い。帰省する新幹線の中で年越しそばを口から便器に召喚してからというもの、腹痛や下痢に襲われている。おかげで今年の正月は、太らなくてすみそうだ。