佐藤妹子の備忘録

鬱病7年無職の生活。

猫のごはんについて

去る7月に猫を捕まえたので一緒に暮らしている。この経緯については端折るが、猫を捕まえたとしか言いようがない。

 

猫を飼って気付いたのは、「猫の健康的食事には金がかかる」ということである。

 

人間だったら、その辺で売ってる野菜と肉で健康的なご飯が作れる。そこに塩をぶち込むのもウェイパーをぶち込むのも人間次第だからだ。そりゃ人間でも完全有機野菜にこだわって生協とかで国産のものしか買わない場合は少しは高くつくが、それでも調理過程が各々に任せられているので、そこから糖尿病患者のための料理を作ることもできるし、ケミカルな料理を錬成することも可能だ。しかし猫は違う。

 

猫の餌を手作りしてあげる場合は別だが、だいたいの人間が猫には既製品のフードを与えていると思う。しかし激安キャットフードには、本来捨てるような肉や、本来肉食である猫の体によくない穀類とか合成着色料とかなんかとにかく悪いものが使われているのだという。そうやって作ると猫の食いつきが悪いので、匂いを強くしたり塩分をドバドバ入れて食わせるようにしているそうだ。人間だったら98円の小松菜でも158円の小松菜でも安全に食おうと思えば食えるのに、猫の飯は安ければ安いほど粗悪だそうだ。

猫飼い初心者の私は、そんなことはつゆ知らず、amazon1.6kg 466円のカ●カンドライを買って与えていたのだが、猫に数日血便が続いて受診した際に動物病院で買わされたベッツプランのフードは400g 963円だった(ちなみに10月から7%値上げするそうですのでリピーターは今月中にまとめ買いしといたほうがいいよ)。その時の診断結果は「腸内細菌のバランスが崩れている」とのことだったのだが、紹介されたフードには「腸内細菌のバランスを整えます」と書いてあったので、なるほどキャットフードをいいやつにしてやらなければいかんな、しかしベッツプランを継続的に買うのはちょっと財布に響くぞ、と気付いていろいろ調べ始めたのであった。

調べてみると「プレミアムフード」といった種類のキャットフードがあるそうで、このカテゴリに属するフードは、人間でも食べられるレベルの原材料を使って、化学調味料を使用せずに作っているものだそうだ。なんか安心っぽいじゃん?プレミアムフード専門通販サイトがあったので見てみたら、400gで1500円とかいうのが出てきておったまげた。多分もっと高いのもある。ちなみに400gというと、体重5kgのちょいでかめ成猫なら4日で終わる量だ。4日で1500円。俺が大学に入学したての頃は一週間1000円でイオンの火曜市を糧に暮らしていたというのに。

さすがに四つ足の猫畜生にそんなのは買えないので(ドチャクソ失礼)、amazonでニュートロのナチュラルチョイスとかいう2kgで2600円のを買った。

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猫安全原理主義者による情報サイトだとニュートロも少し安全面に問題があるらしいが、カ●カンに比べたら安全of安全だろう(ちなみにそのサイトで一番安全だと評されていたフードはamazonだと1.5kgで5000円だった。ひぇえ)。

 

早速カ●カンからニュートロに変えてみると、なかなか違いが如実に表れる。便が健康になったのだ。

猫の便は、かりんとうのように軽くて、猫砂やティッシュなどにあまり付着せずそんなに臭くないのが健康とされているらしいのだが、エサを変える前はしばらく割とねっとりして臭い便が続いていた。しかしその便が、「猫の便理想形」のような感じに変化したのだ。

また、エサのにおいも全然違う。カ●カンがまだ1袋残っているのでおやつのように少量出してみたら、袋を開けただけですごい匂いがすることに気付いた。カ●カンは、謎肉とハムとツナと塩と大さじ一杯混ぜたような匂いがする。やったことないけど。食べた後の猫の口からもすごくしょっぱそうな匂いがする。猫も、どちらかというとニュートロよりもカ●カンのほうがよく食いつく。人間が天然酵母の食パンよりもマックのポテトに吸い寄せられてしまうように、格安キャットフードにもジャンキーな魅力があるのだろう、と思った。ちなみにカ●カンを与えたらまた便がすこし粘っている。猫の体正直スギィ!

 

自分がアレルギーアトピー持ちで割と自然食品を食べて育ったため、猫にも体にいいものを食べてほしい気がしてそんな感じで暮らしている。早く●ル●ン使い切って、いいごはんだけ食べて健康ねこちゃんになろうね・・・。

 

 

逃げるは恥じゃないしめっちゃ役に立つ

知人から「キモい人からキモいLINEとかメールが来まくってて困る」みたいな相談をされることがよくあるのだが、私は毎回「いやブロックすればよくね?」と返す。いやブロックするとかメアド変えればよくね?それだけで楽になるのになぜやらない?意味わかんね~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!「妹子ちゃんはそれができていいよね~(苦笑)」みたいな返しを受けるのも意味わかんね~~~~~~~~!!!!!!!!!!わかってるなら聞くなバーカ!!!!!!!!

 

 

私は「逃げる」ことに関して思い切りがいい方らしい。犬に追いかけられるとかそういうことではない。

 

私が逃げた最古の記憶は、小学一年の春だ。

小学校入学直前に市内屈指のスラムに引っ越した私は、当然その地域で生まれ育ったわけでもないしその辺の保育園に通っていたわけでもないので、斜め向かいの同級生女子Aと一緒に登校することになった。わが子の登校時の安全と交友関係の構築を願って親がアレコレしたかは定かではないが、おおかたそんなところだろう。Aには何個か上の兄がいて、その兄とAと一緒に登校する、というのが当初の取り決めであった。

 

ところがこのAというのがいけすかねえ女だった。まず誕生日が俺より早く、小さいころから運動をやっており体がデカい。それに加えてワガママで頭もよくないし、とにかく俺は初めてこいつと登校した日から無理すぎてカタツムリになりそうだった。またAの兄というのも、一緒に登校を任せられている我々新一年生の面倒を見てくれるわけでもなく、自分の友達とどんどん進んでしまうので、今ではその気持ちはわかるが当時は「こいつは契約違反じゃないか?」と思ったものだった。

さらにAとA兄は時間にルーズな人種で、元々「7:10にAの家を出発する」という取り決めだったのだが、俺がその時間に行っても10分は待たされる。そこで待たされてA兄妹と出発して、さらにA兄が自分の友達の家に寄るので、さらにそこでも数分待たされる。

 

「なんで俺が知らねえやつに待たされなきゃいけないんだ?」と思っても、口が裂けても言えない。この登校は親が決めたことで、相手は土着の民族だし、年上だし、デカイし、俺のようなよそ者で運動音痴の陰の者は逆らってはいけないと思っていたのだ。同い年のAとも、別に同じクラスでもなく共通の話題は皆無だったため、我々の登校風景は、先頭にA兄とその友人、直後にA、こいつらは体がデカくて歩くのが速いので俺は10mくらい後ろを無言でついていくのが常であった。意味ねえ~~~

次第に俺は7:10にA宅に行くのをやめて、Aがうちに来るまで自分が待っているという作戦をとるようになった。これで俺の待ち時間は「A兄がA兄友人を待つ時間」だけになるから、心理的に幾分かマシになるのだ。もっとも出る時間が変わっただけで、俺が後ろをのそのそついていく登校風景は全く変化しなかったのだが。

 

そんなある日、いつものようにA兄の友人宅前で待たされている間、まったく喋らないし不満そうにしているのがバレたのか、Aに

「アンタ、うちがこわい?」

と聞かれた(当時小学生女子DQNの中では一人称「うち」が流行っていた)。その瞬間俺はうわ~~~なんだこいつは~~~~~~!!!!!!!!自分がえらいと思ってはるで~~~!!!!!!!!!!!!!と叫びたい気分だったが、陰の種族なので

「こ、こわくないよ」

と言うのが精いっぱいだった。

そのあとも、いつも通り無言でカタツムリのように登校したのだが、俺の気持ちはマージでむかついたのでアフリカマイマイと化した。

 

その夜、だいちゅきなママに「Aやだ!わがまま!むかつく!行きたくない!やだ~~~~」と訴えたところ、母から

「じゃあAがうちに来る前に家出ればいいじゃん」

との啓示を得た。

これは私の中ではコペルニクス的転回だった。あんたが決めたんじゃないんかいとも思ったのだが、とにかく親から「逃げてもいい」という教えを与えられたのだ。神が与えるものであるところの「時間」に対して金を取ろうと発明したユダヤ人もあんな気持ちだったと思う。

 

というわけで翌日から私は、6:55くらいに家を出るようになった。もちろんそんなに早く行っても学校は開いてないので、教頭先生が昇降口の鍵を開けるのを待つ。しかしそれくらい早く学校に行ってもなぜか来ている陰キャはいるもので、そいつらと到着時刻を競ったりするようになった。

朝早く行くことで、図書室で一冊本を借りて朝の時間中に読み終えることも可能になったし、忘れ物をしても家まで取りに帰れる余裕ができ(ランドセルを忘れて家を出たことも3回あるが授業に間に合わなかったことはない)、いけすかねえアバズレと顔を合わせることもないので実に充実した日々を手に入れることができたのだった。近くに住んでるババアが「今日Aちゃんが7時過ぎにピンポンしに来たよ」と言ってきても、「やばいどうしよう・・・」といった不安ではなく、「うるせえ知るかバーカ!」と考えられるようになった。

 

 

「逃げる」ことは一見臆病に見えるかもしれないが、逃げることで心身健康充実人生を得ることができるなら、圧倒的に楽じゃないか?

逃げろ、どんどん逃げろ、俺みたいに仕事も名前も住所も変えてあとは整形するだけくらいのところまで逃げろ!!

私は修士課程も仕事も辞めたが、病気は治ってないにしろ以前よりもかなりストレスレスな暮らしができている。まじめな皆さんもどんどん嫌な奴はブロックして、嫌なことは辞めて楽に生きたらいいじゃん、意味わかんね~~~~~~~~~~~!!!!!!!!

 

 

 

 

ちなみにAは進学先の高校でいじめられて通信制に転校して実家に男を連れ込みまくってデキ婚した。

 

無職コンプレックス

無職になってそろそろ1年。

 

全然開き直ってない。社会のお荷物であるという罪の意識に苛まれるばかりだ。このような罪悪感、自責感は鬱病ゆえと医者だの何だのにいわれるが、逆に無職であることに罪悪感を覚えないやつらの方が精神異常なのでは?

 

障害年金は月6万ほど。大卒新卒の給与20万と仮定して、働けない人間への施しとしてはあまりに少なすぎないか?

精神障害の場合「就労不能」であることが障害年金の受給要件なので、仕事をしたら最後、月6万すらパァになる。そもそも私はフルタイムで働くのに適応できないゲキ雑魚精神の持主なので、フルタイム週5で働いてはみたものの即精神が悪くなって無職と化したのだ。週2,3のバイト程度なら私の精神的にも年金的にもセーフなのだが、なかなかそんな虫のいい話は見つからないのが辛いところである。

車椅子等々とバリアフリー環境さえあれば、知的精神的には問題がないからバリッバリに働けてなおかつ年金も貰えちゃう身体障害者のみなさんが金銭の面においては羨ましすぎる。

 

こんなはずじゃなかった。国立大学を出て国立大学院を出て、いわゆるエリート企業に就職して老後の施設代金も不安なく生きたかった。

やれボーナスがいくらだの、残業が多いだの、知り合いがそんなことを言っているのを聞くだけで悲しくなる。まっとうな社会生活を送っている自慢にしか聞こえない。

子持ち専業主婦ならば無職の免罪符にはなるだろうが、今から20年以上を自分以外の人間に費やすような覚悟はないし、満足な教育を受けさせてやる自信もないので無理。

 

24歳無職、今後もし歪んだ精神が治ったとして、雇ってくれる企業なんて無いだろう。我泣きむれて、ゴミとたわむる。